先日、イタリアのインクルーシブ教育についてオンライン研修を受け、感銘を受けました。
みなさんは、ノーマライゼーションという言葉を聞いたことがありますでしょうか?
ノーマライゼーションとは、障がい者など、社会的に弱い立場の方を排除したり分離するのではなく、みんなが社会で当たり前に生活することが保障されるべきだという理念です。
1960年代頃に、世界でノーマライゼーションの考えが出てきた頃から、イタリアでは議論が進み、1970年代には、分離教育に終止符を打ち、支援学校を廃止する方向に進んだそうです。
子どもの権利条約が宣言された1990年頃には障がい児の学校教育への包括が明確化される法律ができ、イタリアはフルインクルーシブ教育に大きく舵を切りました。
イタリアでは、障がいを持ったお子さんがいるクラスは最大で20名が定員。先生の他に地域の支援員など1-2名くらいがサポートに入るとのことでした。しかも、その子につくというよりは、クラス運営のサポートも含んでいるのだそうです。
日本との差に愕然としました。
なぜ、日本ではインクルーシブ教育が広がらないと思うかという質問に、講師の方が、「日本の教育は、学習面の向上に重きを置いているが、イタリアでは個々が意見を持つことが大事とされ、その個々が違いを認めて共存していくことを学ぶことが「教育」であると捉えているからだろう」と答えていました。
日本の社会は、ここが欠けている気がしています。
自分を持つことよりも、横を見て飛び出ないように、前例からはみ出さないように、細~いレールの上を一生懸命綱渡りのようにして渡っているように感じます。
もっと個々が自分を大事にし、自分のペースで、自分らしく生きられるような社会にするためには、学校がそこに重きを置いていく必要があると思いました。

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